とんとんとん、と階段を下りる。 けれどそれは効果音のみで、そこに足音は存在しない。偶にそうやって気を遣って歩いてみることもわりと楽しい。三郎達のように忍の道を歩まなかった私は、四六時中気を張るような生活を送ってはいなかったので、彼らに比べたらあの頃の勘は大分鈍っている。別に取り戻そうと思っているわけではないけれど、使えると意外と便利だったりする。だからこうして何気なく歩きながら足音や気配を殺してみる。見た目的には普通に歩いているのと変わりはないから怪しまれないし、今は放課後で校舎を歩きまわる生徒はそう多くはない。 新入生を迎えた校内はどこか浮足立っているみたいに忙しない印象を与えていたけれどそれも漸く落ち着いてきた。入学式から一年。それは二度目の人生の中で最も早い一年だったように思える。三郎に再会して、女の子となった雷蔵に出会い、それから善法寺先輩と食満先輩にも出会えた。学校は違ったけれど八とも再会することが出来たし、勘ちゃんにも会えた。高校に上がった途端、私の世界は一変した。モノクロームな日々が突如として鮮やかに色づけされたかのように輝き出した。退屈しない毎日。楽しいさえと感じるようになったのは紛れもなく、彼らと再びめぐり会えたからこそ。神様の悪戯か、気まぐれか。それともこれはある種の因果なのか。どうであれこの出会いには感謝していた。 でも、一人足りない。 まだ欠けている。 この一年、期待をしない日なんてなかったと思うほどにずっと探しているその人だけが見つからない。皆に会えたことでどこか安心しきっていた私にその現実は重たく圧し掛かる。どこにいる?今、何をしているの?ずっとそんなことを思いながら生きる私は、少し期待をしすぎたのだろう。現実はそう甘くはないよ、と充実した日常の傍らで惨めに落ち込む私をせせら笑うかのように一年は過ぎ、春を迎えた。 「・・・・・・どうして、・・・」 決して届くことのない声は校舎の壁に吸い込まれる。 会いたい、と願えば願うほど祈りは届かない気がして、決して口にはしなかった。 けれどその願掛けのような行いに効果がないことも分かっていたけれど。 進級とともに再編成されたクラスは三郎とも雷花とも一緒にはならなかった。少しだけ寂しくは感じたけれど一学年に大多数の生徒をかかえるこの学校で同じクラスになれることの方が奇跡に近いことを中等部から持ち上がり組の私はよく分かっていたから意外とすんなり受け止めることが出来た。それに教室自体はそこまで離れてはいない。寂しくなったらいつでも会いにいける距離。三郎には呆れられるかもしれないが雷花はきっと笑顔で出迎えてくれる。 「・・・・・・・・・・・・」 誰もいないと思って戻ってきた教室に密かな気配を感じて訝しげに覗きこめば男子生徒が一人、すやすやと眠りこけていた。午後の穏やかな日差しがゆっくりと彼に差し込みとても気持ちよさそう。顔は判別出来ないが、クラスメイトには間違いない。その証拠に、彼のその特徴的な黒髪には見覚えがあった。と言うか隣の席になった人を忘れる筈がない。誰も起こさなかったのかと教室に入りながら思う。彼の足もとには運動部に所属している生徒が好んで使うエナメルのバッグと、テニスのラケットが入っているだろうケースが置かれている。つまり彼はテニス部員。詳しくは知らないけれどうちのテニス部は確か毎年かなりの好成績を収めている優秀な部活動だったはず。ならば必然と練習も厳しいだろうことは予測される・・・ので、こんなところでのんびりと眠りこけていていいわけがない。放っておいたところで私に非は全然ないのだけど、一応は隣の席。ここで見て見ぬ振りをするのも少し可哀相な気がする。 「・・・切原くん」 そっと肩をゆすって名前を呼ぶ。 明るく騒がしい隣の席のクラスメイトは瞬時にムードメーカ的な存在になっていた。休み時間になると彼の回りには人が集まる。彼を中心に物事がよく動く。感情の起伏は激しいらしく不機嫌なところもよく見かけるが、周りがそれを許容できるほどの人柄なのだろう。人に好かれる性格とも言える。人懐っこい笑みは相手に好感触を抱かせる。切原くんの隣は人が集まるから少し煩わしいと思ったけれど彼自身の印象は私もそこまで悪くはなかった。 「切原くん、起きて」 「・・・んあ・・・・・・あんたは・・・・・・」 「隣の席のです。それより、部活に行かなくていいの?」 眠たそうな声を出しながら見上げてくる眸はまだぼんやりと焦点を定めていない様子。あ、でもちょっと可愛いかもしれない。不覚にもそんなことを思いながらおくびにも出さず、彼の眠気が覚めるのをゆっくりと待つ。とろんと落けていた瞼が次第に開かれる。と同時にガタン、と大きな音を立てながら椅子から立ち上がった。 「やっべぇ寝過ごした!」 私の背後、彼にとっては真正面に見える時計が目に入った途端にエナメルバッグとテニスバッグの両方を肩にかけだす。机の中の教科書は持ち帰らない様子。重たくなるだけだし、彼が家に帰ってから勉強などするタイプには見えないので私は黙ってそれを見つめていた。 「また真田副部長に怒られる!・・・っと、悪い、ありがとな!」 「ううん、部活頑張ってね」 器用に机の隙間を縫って駆けだす背中に一声かければ応えるように右手が上がった。 そのまま脱兎の如く走り去っていった切原くんの足音は暫くの間私の耳に響いた。 「そっかぁー三郎とも雷花ともクラスは違っちゃったのか」 「うん。でも、いいの。同じ階だし、三郎は隣のクラスにいるし」 少しだけ足を延ばして訪れたのは東京都内。私の住んでいる場所からだと比較的に短時間で辿り着けるからとても便利だと思う。待ち合わせは駅にして、あとは適当なお店を選んで入るのが勘ちゃんと会う時のスタイルであり、今日は近場のカフェに決まった。お店のオススメメニューとなっていたケーキセットを頬張りつつ、近況報告のようなやり取りをする。甘いものが大好きな勘ちゃんとはどのお店でも気兼ねなく入れるところが良い。三郎や八が相手だとそうはいかない。 「勘ちゃんは?学校はどう?」 「ん?俺のところは特には・・・・・・ああ、そう言えば滝夜叉丸と綾部が入って来たよ」 「え?滝が!?」 滝夜叉丸とは委員会が一緒だったから関わりも深かった。 七松先輩に振り回された同志とも言える。 喜八郎にしてもそう。 立花先輩に呼ばれて作法委員会にもよく顔を出していた私は彼とも繋がりがあった。 どちらとも私にとっては可愛い、大切な後輩。 「二人とも女の子だったよ」 「わー、なんかすっごく可愛いのが見なくても想像できる」 滝も喜八郎もとても整った顔をしていた。女装させたら女の子にしか見えなかったし。 それが女の子として生まれ変わったというならさぞ美人に違いない。 「でも、滝は覚えてない感じだったな。綾部はしっかり記憶あるみたいだけど」 「・・・滝が・・・?・・・・・・そう、」 ならば、尚更に女の子らしい女の子として生きているだろう。 あの滝のことだからきっとそうに違いない。 「」 「平気。ちょっとだけ・・・寂しいって思っただけよ」 相変わらず、勘ちゃんは心配性だわ。そっと窺ってくる眼差しににこりと微笑みを向けた。そして相変わらず本心の掴めない男だと思う。そっか、とあっさりと引き下がり甘いケーキに頬を緩ませている。私の誤魔化しに気付かない筈がないのにそれを見てみぬ振りをする彼の真意は到底掴めそうにない。長い付き合いだけど三郎以上に掴めないのが勘ちゃんだ。彼の考えや行動が、悪い結果をもたらしたことは早々ないし、探ったところで上手くかわされてしまうのは百も承知だから私も聞かないけれど、気にはなる。ちらりと様子見れば「ん?」と首を傾げながらにこにこと笑っている。聞くに聞けない雰囲気を醸し出すことも得意な彼に私は小さく首を横に振った。 「そうそう、それで綾部がに会いたがってたよ」 「喜八郎が?」 「今は確か喜依ちゃんって名前だったかなぁ」 「・・・綾部じゃダメかしら。可愛い名前だけど呼びなれない」 雷蔵のことを雷花と呼び慣れるのにも相当時間がかかったのに、滅多に会うことのない綾部の、喜依という名前を自然に呼べるようにはなれない気がした。 「それに立花先輩も久しぶりに会いたがっていたから近いうちにお茶会でも開催すると思うよ」 「名前の下りはスル―なのね、いいけど。・・・にしてもお茶会かぁ」 「あれ、乗り気じゃない?」 お茶会とは立花先輩主催で開かれるその名通りのもの。立花先輩と再会してから定期的に開かれ、幸運・・・かどうかは分からないけれど私は毎回招待されている。しぼんだ語尾に勘ちゃんが瞬きをして私を見つめる。立花先輩とお話をすることは別に嫌いじゃない。むしろ好きだ。頻繁に作法委員会に招かれ活動をしてきた私は立花先輩を尊敬しているし、先輩も直属の後輩ではない私を他の委員同様に面倒を見て可愛がってくれていた。 「メンバーがね、先輩ばかりで、こう・・・落ち着かないのよ」 立花先輩に、善法寺先輩、それに中在家先輩と、その中に私は混じってお話をすることになる。先輩方は皆優しいけれど、一つという学年の差は意外と大きいものでどうしたって気まずさを感じずにはいられない。時折そこに食満先輩も参加されるけれど、彼もやはり私にとっては先輩。せめて同学年の子が一人でも居てくれれば気も楽なのだけど、三郎は当然そんなものは却下。八もそういったことは苦手なようで丁重にお断りされたし、雷蔵は記憶がないままなので除外。唯一、参加したことのある勘ちゃんはおそろしいほどにその場に溶け込んでしまい、私は一人おいてけぼりをくらうことになってしまった。 「それと、あの高級すぎる雰囲気もちょっとだけ苦手」 東京のお金持ちが集まると噂の氷帝学園に通う立花先輩はその噂通り、とてつもないお金持ちの家の生まれらしく、茶会の場として提供される場所はいつだってお金がかかってます、と言わんばかりの内装。お洒落ではあるのだけど、カップ一つさえも割ってしまえば相当な額になりそうでちょっと肩に力が入ってしまう。そういう高級感漂う雰囲気は立花先輩にはよく似合っていると思うけれど、極々一般庶民の家柄に生まれた私には少し敷居が高い。 「うーん、まぁそれは分からなくもないけどね」 「勘ちゃんだって、その立花先輩と同じ学校じゃない」 そう、何を隠そう勘ちゃんだって噂のお金持ちが集まる氷帝学園の生徒だ。 「俺の家は普通だよ。あれは立花先輩が特別なの」 さらっと言っているけれど、普通の家庭よりはよっぽど裕福には違いない。 でなければ氷帝学園になんて通ってはいないはず。 「お茶会はきっと大丈夫だよ。綾部も強制参加らしいから。ほら、アイツはそういう空気を壊すの得意だろ」 「確かに」 いつだって自由気まま・マイペースな喜八郎だから、立花先輩も手を焼いていた。 あの子がいるならば私の気持ちもずっと楽になるかもしれない。 「せっかくのお茶会なんだから楽しまなきゃ損だよ」 にっこりと勘ちゃんが笑う。 あのお茶会で勘ちゃんほど余裕を持って楽しめる人は早々居ないわよ、言うツッコミは心の中に留めた。 2010/09/29 |