小さな背中が全てを拒絶するように立っていた。こちらの気配には気づいているのだろう。だからこそ近寄るな、と精一杯に牽制している。緊張の糸がぷつんと切れてしまえばそこに張り詰めた空気は崩れ去り、堪えていた感情は一気に吐露されるのだろう。だから、そうなるまいと耐えている。一歩、歩を進めれば枯れた落ち葉を踏みしめたのかかさりと音がする。けれど既にこちらの存在はバレているので気にする事はなかった。
「こないで、ください」
 か細く震えた声がする。泣いてはいないと分かったけれど、その声は見てみぬ振りなどできぬくらいに弱々しい。もとより、放っておくことなど出来はしない。留三郎にとってこの一つ歳が下のくのたまは委員会の後輩であり、妹のような存在だ。力仕事が多い用具委員会で上級生が少ないからとくのたまながらにせっせと働く姿はとても好ましく映り、それ以来何かと気にかけるようになっていた。
「い組は今実習でいないぞ」
 ぴくりと肩が反応を示す。そうしてゆっくりとした動作で振り返った瞳は先ほど発せられた声から予想していたよりもしっかりと留三郎に据えられた。よどみはあるが、揺れてはいない。ただ何かを訴えかけるようにじっと見つめてくる。
 留三郎がこの後輩を尚の事気にかけるようになったのは彼女が級友の妹だと知ってからだっただろうか。
「食満先輩は、何が仰りたいんですか?」
「・・・何かあると仙蔵のところに駆け込むのはの癖だろう」
「そんなこと・・・」
「ないって言えるか?」
「・・・・・・」
 きゅ、と唇がきつく結ばれる。反論できないのは留三郎の言い分が当たっているからだ 。一度は歪めた表情を落ち着けようとは息を吐き出す。
「それは甘えだと、家に帰ったとき父上に言われたんです」
「だから一人で耐えるのか」
「昔はともかく私はもう五年生にあがったんです。甘えてばかりはいられません」
 今度は留三郎がため息をついた。呆れたわけではない。ただその頑固さが彼女の兄に似ているなと思った。容姿は似ても似つかない兄妹だがその中身はそっくりだ。
「それを甘えだと俺は思わないけどな」
 睨むに近い視線を留三郎に向けていたの眼が大きく開かれる。それは胡乱気な眼差しへと変化して留三郎に向けられる。
「どういう意味でしょうか?」
「仙蔵がお前を甘やかしたことがあったか?」
「・・・」
 仙蔵が妹を可愛がっているのは彼とは親しい間柄の留三郎を含めた5人の間では言うまでもない事実だ。しかし彼が妹にべったべたに甘いかといえばそうではない。むしろその逆、厳しいくらいだろう。そこに隠された仙蔵の真意は知らぬが、可愛いからこの道を歩むのならば厳しくあらなければいけない。それが留三郎の見解だ。
「どうだ?」
「・・・いえ、兄さまは、どちらかと言えば説教ばかりですけど」
「だろう?それは必要なことだ」
「説教がですか」
「説教じゃなくてだな、抱え込んでるモノを誰かに話すことだよ」
 今度こそ紗々菜の瞳が大きく開かれ、その奥が酷く揺れた。底に潜ませていた感情に波紋が生じる。
「一人では抱えきれないモノは誰にだってある。お前の場合、それを吐露する先が仙蔵だったんだろう」
 弱さを他の誰にも見せたくない、その矜持は兄譲りだ。だが内面が兄に似ているのならばそろそろ周りをもっと信じて、心を見せることも出来るようになっていいはずだ。
「お前の周りはそんなに信用できない奴ばかりか?違うだろ?」
 誰かれとは話せとは言わない、が心の底から信頼をおける人間のみでいい。
 留三郎の問いかけにたっぷりと間を開けてからは一度こくりと首を縦に振る。
「兄に頼るのもいいが、もっと周りを見てやれ。を心配してる奴がいるのを忘れんなよ」
「・・・はい」
 俯き、垂れ下がった頭を留三郎は優しく叩く。
「そうやって誰かに話すのが難しいってんなら暫くは俺が聞き訳になってやるよ」
「・・・・・・食満、先輩が・・・ですか?」
 留三郎の手を頭に乗せたまま、顔を上げたのきょとりとした目が向けられる。
「ああ。まぁ、俺が信用ならないってんなら別だけどな」
「いえっ!そんなことありえません!!」
 少し悪戯っぽく問いかければ慌てたようにがそれを否定する。委員会での付き合いが長い分、それなりの信用を得ていることはもちろん承知しているので軽い冗談だった。見上げた先の留三郎が笑っているのに気付いてもそれが戯言だと気付いたのだろう。取り乱したことを恥じるようにその表情を隠す。
「食満先輩・・・酷いです」
「悪い悪い、ついな」
 宥めるように再びその頭をポンポンと叩けば不服そうに見上げられた。しかし、文句を告げてくることはなかったのでそのままくしゃりと撫でた。



 ざわめきが風に乗って飛ばされてくる。微かだが聞こえてきた音は正門の方からだ。もその音を聞きつけたのだろう。視線が正門の方へと向けられる。
「帰ってきたみたいだな。今から行って来るか?」
「・・・いえ。あんな人目につくところで兄さまに近づこうとは思いませんよ」
 と仙蔵が兄妹だと知る人間は少ない。その理由もまた、聞けば彼女らしいと思うし納得できる部分もある。なので留三郎も、級友達も敢えて公言することはしない。
「それに食満先輩が聞いてくださるんですよね?」
 最初に見かけた時のあの張り詰めた空気がそこにあったことなど欠片も感じさせないほど、明るい声だった。すっかり立ち直ったらしいがにっこりと留三郎に笑いかける。
 一瞬、胸の高鳴りを感じた気がした。
「ああ、まぁ確かにそう言ったが」
「だったらそれで十分です。少しずつ兄さま離れしていこうと思います」
 それは、仙蔵が聞いたら喜びそうな、落ち込みそうでもある微妙な発言だ。
「いつか皆にも弱さを見せれるようになりたい。それまではお付き合いくださいね」
 行儀よくぺこりと頭を下げたが言う皆とは言うまでもなく彼らなんだろう。
 忍たま、くのたまは基本的に仲が悪く啀み合いは耐えないが、一つ下の学年は例年に比べたら比較的温厚でその仲は落ち着いているように思える。(それでも、いがみ合いは存在していることには変わりないが)その代わり二つ下は忍たま・くのたま共に好戦的な生徒が多くみられる気がするが。
 自分がそれまでの代替だと言われたことにちくりと胸に刺さる何かがある。いや、そんなはずはない。気のせいだ、気のせいに違いない。自分に言い聞かせるように留三郎はそれを振り払った。






ひとひらの叙情






いつか書きたいとずっと思ってる設定。